市民参加をめぐって

【目次】

はじめに
T 市民参加の現在
1 市民参加の方式
(1)法律に基づく市民参加
(2)地方自治体独自の市民参加
(3)慣例的に行われている市民参加
(4)市民運動
2 市民参加の主体
(1)年齢による区分
(2)性別による区分
(3)国籍による区分
(4)住民の態様による区分
3 市民参加の対象
(1)自治体政治と自治体行政
(2)自治体議会と首長部局
(3)市行政、区行政とコミュニティ行政
(4)総合計画と個別事業計画
(5)市民参加の時機
U 市民参加の問題状況
1 制度から見た問題状況
(1)制度としての市民参加の限界
(2)自治体の市民参加へのスタンス
(3)市民参加を阻む外的環境
2 運用における問題状況
(1)町内会・自治会の位置づけ
(2)参加市民の固定化
3 市民運動
V これからの市民参加
1 市民参加の環境整備
(1)サイレント・マジョリティの活性化を
(2)サラリーマンを地域に
(3)多様なメディアの整備を
(4)サンタモニカ市の先進事例
2 市民意識の変革
(1)地方政治の活性化に向けて
(2)地方自治の科学化をめざして
3 いつでも、どこでも、誰でも、市民参加
(1)「市民参加行政」からの脱却を
(2)「開かれた自治体」の確立に向けて
※参考文献
はじめに
昭和59年(1984年)に行われた第2回海外派遣研修第二部における私のテーマは、施設建設における市民参加・行政手続であった。以後、これまで、このテーマにこだわりつつ、自分なりに思考を進めてきた。このような問題意識を鮮明にしたのは、ヨーロッパの都市を目の当たりにしたことにある。そこで、そんな機会を与えてくれた海外研修に感謝しながら、以下のような自分なりのまとめを行ってみた。興味を示していただける方がいれば望外の喜びである。
* *
現代の市民生活は、行政の関与する領域を著しく拡大している。赤ちゃんが生まれその届け出に始まり、保育所・幼稚園への入所・入学、学校教育、生産・流通・消費・廃棄の経済過程、雇用、社会保障・社会福祉、医療、生きがい、文化、土木・建築等の都市環境整備、そして死亡の届け出に至るまで、人間の一生に行政は付いて回る。
このように福祉国家は、行政機能の専門化・高度化・技術化を招来し、相対的に議会による法の支配を弱めていったが、こういった現象は国民主権といった観点から問題がないわけではない。行政の専門化・高度化・技術化は、民主的かつ個々の国民の権利を尊重した手法で達成されることが要求される。そのためには行政過程に対する市民参加が必要であり、その舞台として、地方自治体が重要である。
わが国の地方自治制度は、国政の場合と異なり、知事・市長等の首長が直接選挙で選ばれる仕組みとなっているせいか、多くの首長が市民参加に熱心である。行政のさまざまな分野・展開に市民参加が取り入れられている。しかし、それにもかかわらず市民の側からすれば、自分たちの意見が行政に満足に反映されていないという不満の声も多い。このギャップはどこから生じるのか。ギャップを解決するために自治体は何をなすべきなのか。そのためのシステムづくりについて考えてみたい。
T 市民参加の現在

1 市民参加の方式

一概に市民参加といってもいろいろな方式がある。地方自治法等の法律に基づき制度化されたもの、市長などの行政側の働きかけによって独自に制度化したもの、制度化されているわけではないが慣例的に行われているもの、そして、市民による自立的な市民運動などさまざまである。これらの市民参加の方式について概観してみよう。
(1)法律に基づく市民参加

  ●地方自治法に基づく市民参加
最も大がかりな市民参加の制度は選挙である。また地方自治法は、条例の制定改廃請求、事務の監査請求、議会の解散請求、議員・首長その他役職員の解職請求の直接請求制度や議会に対する請願について定めている。
条例の制定請求を契機に地方自治法が改正される(1974年)など非常に大きな効果をみたものに、東京都練馬区を始めとする区長準公選運動がある。また、法改正といったそこまでの成果はみなかったものの大きな反響のあったものとして、東京都中野区の教育委員準公選条例制定請求運動(1979年制定)、高知県窪川町の原子力発電所設置住民投票条例(1982年制定)、大阪府堺市の政治倫理条例制定請求運動(1983年制定)等がある。市議会の解散請求、市長の解職請求の応酬で話題になったものの代表は、神奈川県逗子市の池子弾薬庫跡地利用に関する問題であろう。
ただ、これらの直接請求等の制度は、有権者の3分の1、50分の1以上の署名を必要としているため人口の少ない市町村では有効に機能しても、人口が多くしかも自宅と職場が異なり、都市間の人口が流動的な大都市ではなかなかその活用が難しいといった問題がある。
次に行政活動の事後統制手段として、住民監査請求及び司法過程に属する住民訴訟は、市民一人で行政を追及することができるという点で他の制度に比べて簡便なためか、その利用が活発になっている。地方自治法上その対象は財務会計上の行為であるが、行政の活動のほとんどは間接的にではあれ公金の支出を伴うものであるから「財務会計上」の範囲を拡大して解釈することで住民訴訟本来の目的以上にこの制度は期待される向きがある。例えば、憲法上の政教分離原則を争った津市地鎮祭違憲訴訟(最判 1977.7.13)、公害・環境権を争った田子の浦ヘドロ訴訟(最判 1982.7.13)、人事行政のありようを争った川崎市退職金支払い訴訟(最判 1985.9.12)等がある。
  ●その他の法律に基づく市民参加
都市計画法、都市再開発法、土地収用法等公共事業に関する法律の多くは、事業計画の縦覧、公聴会の開催、関係権利者の意見書提出、第三者機関である審議会・委員会等への諮問など市民参加の手続きについて規定している。また、審議会・委員会等は、公害対策審議会、保健所運営協議会、国民健康保険運営協議会など社会福祉・社会保障、医療等さまざまな分野で法律によって設けられている。行政処分の前に相手方に聴聞の機会を与えるなどして行政処分の発動を慎重にしようとする制度も建築、経済、運輸等規制的行政を行う分野には多く取り入れられている。
また、個別・事後的な市民参加として、行政処分を争うには行政不服審査法に基づいて異議申し立て等をすることができる。
(2)地方自治体独自の市民参加

  ●審議会・委員会
審議会・委員会は法律によって義務的に設けているものも多いが、各自治体が独自に設けているものも多々ある。情報公開審議会、プライバシー保護委員会、環境アセスメント審議会といったものである。自治体独自の先端行政は市民参加を目的にしているとさえいえそうである。これらの審議会・委員会の委員として、市民参加の機会がある。
また、常設的なもののほかに、高齢化社会・情報化社会に対応するためとか、国際化や男女平等に関する○○問題を検討するためとかいったように、特定のテーマの諮問にこたえる一時的な審議会・委員会も数多い。
  ●市民会議・市民委員会
先に述べた審議会・委員会の構成メンバーが学者・文化人等のいわゆる学識経験者であったのに対し、ここでいう市民会議・市民委員会は普通の市民から成る点で異なっている。行政からの諮問にこたえ調査・研究するといった性格ではなく、市民自らが自発的にテーマを設定し討議・実践することが期待されている。行政の役割は、論議の場づくりや情報・資料の提供等の事務局的機能と、討議の結果を行政に反映させるための積極的配慮が求められている。
  ●市政モニター
市政の執行について市民の目で点検を行うため、年数回のアンケートに答えるほか行政主催の会議への出席や施設見学をとおして随時行政に意見を提出する。公募方式によってモニターを選出している場合が多い。
  ●市長への手紙
市政の執行について苦情を有する市民が市長あてに意見を提出する手段として「市長への手紙」がある。通常、手紙のセットが行政で用意され、また、その処理も、直接市長の目に触れるような形で行われるような取り扱いになっている場合が多い。
  ●市政相談・移動市役所
市政についての意見・要望を受け付ける制度である。各部局へ直接陳情するのではなく、公聴部門への相談という形をとるところが特色である。この場合も、その処理に即決性を持たせるなど一般的な取り扱いを避けている。
また、市政相談の中、市民を市役所本庁に呼ぶのではなく、市長等の幹部が区役所その他出先機関に出張して地域市民の利便を図るのが移動市役所である。
(3)慣例的に行われている市民参加

  ●町会への事業説明
公共事業の実施の際などに行われている非制度的・慣例的な市民参加に、関係町会の会長・役員に対する事業計画の説明がある。挨拶程度の説明で理解が得られる場合が多いが、熱心な会長等は行政の計画に注文をつけることもある。会長等の意見をどのように扱うかは全くの行政の裁量に任されているが、行政の側ではその意見を尊重する場合が多い。したがって、少なくとも町会長等の町会幹部にはかなり有効な市民参加の機会が与えられているといえよう。
  ●住民説明会
主として火葬場・清掃の処理場等のいわゆる迷惑施設を建てる場合に、付近住民の理解を得る目的で住民説明会が開かれる。工事の実施方法、建物の規模・構造等について行政の譲歩を得たり周辺の環境整備について約束させることはできても、計画そのものの撤回を求めるには、よほどのねばり強い運動を続けなければ困難である。
(4)市民運動

  ●恒常的市民運動
市民運動団体の活動目的は多様である。みどりを守る、自分たちの手でまちづくりを行う、安全で豊かな消費生活をめざす、障害者や女性の社会参加を促進する等々。また、それらの目的が複合している場合も少なくない。自然保護運動の傍ら有機農業に取り組み安全な食生活を追求する。そして、学校給食の改善運動を展開する。女性の社会参加を進めるために、共に短時間労働者(パート労働者)になりがちな高齢者と手を結び、高齢化社会について考えるシンポジウムを開催する。
活動目的は普遍的なもののため、目的が達成されるという結果が出ることはあり得ないことなので、運動も息が長く続ける必要がある。そこで、そのための組織化も進んでいる。具体的には会費の徴収による会員の登録や会の内部における役割分担の徹底が行われている。
最近では、このような市民運動団体から市区町村議会に進出する動きが活発化している。
  ●一時的市民運動
一時的市民運動は単一の活動目的を持ち、その目的の達成と共に消滅するものである。その目的は、図書館や児童館といった住民利便施設の建設運動であったり、逆に火葬場等の迷惑施設の建設反対運動だったりする。建設する・しないといったようにその結果は明瞭である。そして、比較的短期に結論が出る。したがって、その組織は柔軟であり会則といったように会員を縛るものは通常作られない。組織よりもその構成員である個人が前面に押し出されている。
2 市民参加の主体
市民参加という場合、そこでイメージしている「市民」とは何だろうか。そして、その「市民」すべてが参加しやすいように市民参加のシステムは構築されているのだろうか。さまざまな市民を類型化し、それぞれの視点から現行の市民参加システムについて考えてみよう。
(1)年齢による区分
市民なり住民なりを「人間(ヒト)」と規定した場合、生まれたばかりの赤ちゃんも市民であるが、市民参加といったときの「市民」にはそのような意思能力のない者は含まれない。そこでいったい何歳から「市民」になるのかが問題となる。しかし、市民参加の方式がさまざまである以上、一律には規定できない。例えば、選挙や直接請求をするには20歳以上でなければならないと地方自治法に規定されているが、市民運動をするには年齢要件は不要である。学生による市民運動などを考えれば10歳代が主体であることもあり得る。未成年を市民参加の主体から排除する必要はない。
「市民」として自分の住んでいる市区町村の行政に関心を持ち始めるのは何歳くらいからだろうか。もちろん人によって異なるのは当然であるが、最も頻度が高いのは、結婚をし子供が生まれその子供を保育園に入れたいと思う時や、小学校に入れる時であろう。子供を通して保育園の父母会とか学校のPTAとかで地域とのつながりを持たざるを得なくなる。しかし、行政に関心を持つこととその関心に沿って行動を起こすことの間には、かなり大きな距離がある。仕事や家事・育児に忙しい乳幼児を抱える父母にとって市民参加のための時間を捻出することは厳しい。逆にいえば、いつでも・どこでも気楽に自分の意見・要望を表明できるシステムが構築されることが望ましい。
次に問題となるのが、労働の場から引退した高齢者の市民参加である。彼らには参加のための時間は比較的たっぷりとあるだろう。しかも、その地域に定住し、まちの移り変わりを見てきた者も多い。このような高齢者に市民参加の機会を与えないことは行政にとっても多大の損失である。しかし、現行の市民参加システムは、いわゆる学識経験者や地域の有力者以外の普通の高齢者にとって参加しやすいものとはなっていない。市民会議・市民委員会、市民モニターの機会の供与と共に、新たな参加システムとして自宅もしくは小学校区単位の近隣で意見の表明ができるような機会を創出することが求められる。
(2)性別による区分
女性の労働参加、男性の家事・育児への参加が男女平等・共生社会の実現といった視点から求められている。しかし、現実は、まだまだ男は仕事・女は家事で、女は家事に支障を来さない限り仕事を持つことが許されるといった意識が捨て切られていない。したがって、本来は、市民参加に性の違いは関係ないことではあるが、現実に置かれている男女の環境の違いを考慮して市民参加のシステムが構築されなければならない。
このような視点から問題となるのは働き盛りの男性の参加率の低さであろう。女性の場合、子供が小学校高学年となり手がかからなくなるにしたがってさまざまな市民参加の機会を活発に活用している。それに比べて男性はその時期仕事に特化し、ほとんど市民参加をなさない。働き盛りとは、労働の場に限られるわけでなく、地域に目を向けたならばこちらの面でも有能である年齢である。そのような忙しい働き盛りの男性が簡便に参加できるような環境が用意される必要がある。
(3)国籍による区分
国際化が声高に叫ばれ出して久しい。
輸出・輸入といった物の国際移動に始まった国際化は、金融の国際化、多国籍企業に代表される法人の国際化をとおして、今まさに人の国際化の時代に入った。人の国際化は労働力の国際化といったふうな企業活動に随伴している面を有するが、いずれにしても言語・風俗・習慣等の違う人々が対面的な関係を持つことが要求され、異なった文化に対する寛容的態度が不可欠であるという点で文化の国際化も必要である。一方、このような観点から国内に居住する韓国人・朝鮮人等の在日外国人の存在を考えるとき、彼らに対して充分な社会的な配慮がなされてきたのかという疑問が沸き上がる。これがいわゆる「内なる国際化」・「地域の国際化」の問題である。
市民運動といった市民の自発的・自立的な市民参加のレベルではともかく、自治体の側でそれ以上の制度的ないしは慣例的な市民参加の主体に外国人を配慮している例を見ない。しかし、永住資格を持つ外国人はもちろん他の外国人であっても自治体の住民であることに変わりはないのであるから、できるだけ市民参加の余地を大きくするような行政運営が望まれる。
(4)住民の態様による区分
国際間の住民移動以上に激しいのが国内における住民の都市間移動である。
市民運動の場合その参加主体に住居要件は必要ないので、もちろんその自治体に住所を有しない他都市の市民も市民参加が可能である。しかし、地方自治法に基づき制度化された参加方式はもちろんのこと、他の参加方式でも住居要件を前提として運営されているものがほとんどである。地方自治は、その地域に住む住民による自治というのが原則ではあるが、今日のような住民移動率の高まった社会においてはその原則は一部修正されなければならない。すなわち、第一には通勤・通学者による市民参加の問題や、第二には新旧住民による新しいコミュニティづくりの問題が発生する。
第一の通勤・通学者による市民参加の問題は、例えば東京都の都心部における夜間人口と昼間人口との著しい格差を無視して、夜間人口だけの意思で都心部の行政を決定して良いのかといった論点から派生した。通勤・通学者の勤務する企業や学校をとおしての法人による市民参加だけで通勤・通学者の参加は満足しなければならないのだろうか。もし違うとするならば、どのような形で行政が対処するのが好ましいのだろうか。また、そのときの費用負担のあり方はどのような変更を迫られるのだろうか。
第二の新旧住民による新しいコミュニティづくりの問題は、端的には伝統的・保守的な旧住民と権利意識旺盛な新住民の対立という形でトラブルが起こりやすい。どちらかというとこれまでは、地方政治に関心が薄い新住民の意向よりも、まあまあ主義で大過なく行政を遂行できる旧住民の意向に行政は流されやすかった。しかし、これからの時代は国際化の潮流とも相まって、権利・義務をしっかり主張する住民がますます増えていくだろう。このような住民意識に対応した市民参加のシステムづくりが求められる。

3 市民参加の対象

市民参加というが市民は自治体政治の何に参加するのだろうか。政治過程と行政過程、議会と首長部局、市全体の行政と地区行政、総合計画と個別事業といったように対象を分類し、それぞれについて考えていこう。
(1)自治体政治と自治体行政
地方自治は、ともすれば「地方行政」といわれるように行政過程だけを意味し、「地方政治」との関係がはっきりしていなかった。しかし、地方自治は行政過程だけで成り立っているわけではなく、公選首長・公選議員を戴く以上政治過程が重要であることは当然である。市民参加の視点から見ると、地方自治法に基づく市民参加は政治過程に対する参加手段であるといえる。地方自治の政治過程はひとつの自治体内部だけで完結する場合のほかに、近接自治体・類似自治体等をとおして他の自治体に波及し、また、地元選出都道府県議員・国会議員を通じて異なったレベルの政治過程に影響を与える場合がある。東京都練馬区で始まった区長の準公選を求める直接請求運動が他の特別区に波及し、ついには地方自治法という法律の改正にまで至ったのが典型である。
一方、行政過程といってもいろいろな段階がある。例えば行政過程を時間を追って見ていくと、総合計画の企画・立案過程、それに基づく個別事業の企画・立案過程、予算要求から予算の成立にいたる予算過程、事業の実施過程、その評価の過程というように分類できる。それぞれの過程に市民参加は可能である。
(2)自治体議会と首長部局
自治体の首長は直接市民によって選ばれており、地方自治体は中央政府のような議院内閣制を採っていない。このため、議会の多数党が首長の与党とならないケースが起こる場合がある。もともと市民参加が提唱され始めた契機は、少数与党の首長が直接民意を探るという面があり、議会とは対抗関係にあった。したがって、議会側では当初は市民参加は自分たちの代表性を軽視するものとして批判的であった。
しかし、今日では市民参加自体を否定することはできない。首長部局=行政への参加に対して、議会自らも市民参加の対象として名乗りをあげなければならないのではないだろうか。議会に対する市民参加の手段としては、地方自治法による選挙や直接請求制度のほかに陳情や請願といったものがあるが、行政に対する参加方法に比べてその多様性・柔軟さにおいて劣っており、インパクトも少ない。
議会は首長とともに自治体政治の両輪なのであるから市民参加といった直接民主主義の分野でも、もっと活発な活動が期待される。
(3)市行政、区行政とコミュニティ行政
ひとつの自治体の首長部局といっても、その内部の組織・機構は複雑である。特に人口 100万人を抱える政令指定都市にあっては自治体の中に行政区を置いていることもあって、より複雑さを増している。タテワリの省庁に起因するセクショナリズムを地域レベルで整理・統合しようというのが市民参加のひとつのねらいであり、その推進役は主として首長が担ってきたのであるが、大都市のような自治体の規模の大きなところでは首長による統合機能にも限界がある。そこで、市民参加の対象をより小さな地域へと落とし込む必要が生じる。それが、区行政への参加であり、さらには地域コミュニティ行政への参加である。
ところで、ここで問題となるのは、果たして区行政なり地域コミュニティ行政が実在しているのかといった点である。たしかに区役所は存在し住民票の発行や戸籍の証明等の各種のサービスは行っている。しかし、それは個々の法律に基づく一つひとつが切り離された事務の積み上げであり、それらは総合的に練り上げられているわけではない。区民の特性・要求に沿った形で施策の優先順位を決定し、実行させることが行政区を相手にできるだろうか。それができないとするならば、区行政は存在しないというべきである。
また、コミュニティ行政について考えるときは、コミュニティの範囲をどのようにとらえるかをまず検討しなければならない。小学校区、中学校区と範囲を固定しがちであるが、目的に沿ってコミュニティは変化するというべきであろう。そして、次に、そのコミュニティが問題解決の単位になっているかを検討すべきである。これが一致していなければ、コミュニティは行政による統治もしくはサービスの単位ではあっても、コミュニティ住民の参加の単位であるとはいえない。
区行政やコミュニティ行政といった概念は、身近な問題は可能な限り身近な地域で解決すべきであるという草の根民主主義の原則に沿ったものである。しかし、このことは、より広い単位でなければ解決できない問題の存在を否定するものではない。市全体、行政区、コミュニティが問題解決のための単位として有効に機能するよう、それぞれに対応した市民参加の仕組みが構築される必要がある。
(4)総合計画と個別事業計画
自治体は市民の福祉向上をめざしてさまざまな事業を展開しており、それを時系列的に大別すると、計画、実施、評価の各過程に分けられる。それぞれの過程に対して市民参加が考えられるが、計画過程においてはその対象となる計画の種類によって、市民参加の主体・方法に大きな差異がある。
  ●総合計画
総合計画の中でも、計画対象期間の長短によっていくつかの段階がある。
第一は、自治体のあるべき姿を目指し、10〜20年くらいを計画期間とした「基本構想」の段階である。
第二は、基本構想をやや具体化した総合的長期計画である「基本計画」の段階である。5〜10年くらいを計画期間としている。
第三は、基本計画を現実の行財政をふまえてどのように実施していくかを定めた「実施計画」の段階である。2〜3年くらいを計画期間としている。
市民参加の方法としては、学者や文化人を主体とした有識者の専門委員会を置いたり、市民委員会方式・アンケート等による世論調査方式、市民シンポジウムの開催などの手段が採られている。
  ●個別事業計画
個別事業の中にも都市再開発とか道路の築造とかいったように、事業の完成に数十年も要するものがある。また、当然、単年度で終了するものもある。いずれも基本構想の策定、基本計画の作成・決定、実施計画の作成・決定とさまざまな段階がある。
市民参加との関連で総合計画の樹立の場合と異なることは、例えば都市計画法の計画決定手続のように、計画決定によって市民の建築の自由が制限されるなどの効果を持つなど計画そのものが市民の権利・義務に直接影響を与えるため、法によって計画の決定段階に利害関係人の参加手続が規定されるものがあり、自治体による市民参加の手法の選択に自由度が少ないことである。また、計画の決定の後には事業の実施がある場合がほとんどであり、事業の実施をにらんで計画が立てられている。事業の実施に際しては国・県からの補助金、市債の発行による収入を見込んでいるものが多く、単年度予算主義の原則と相まって充分な市民参加の時間がとられていない場合が多い。
参加の主体も事業による直接の利害関係人であるとか、地域有力者である町内会・自治会の会長であったりで、学識経験者中心の総合計画の場合とはかなり差異がある。自治体の対応次第では抵抗型の市民運動に展開して行く可能性を持つ市民参加の形態である。
(5)市民参加の時機
市民参加をしようとしても、行政は専門化・高度化・技術化し、複雑でわかりにくくなっている。そこで市民参加の対象を、行政の内容から手続に転換して行く方向がある。事業の計画、実施、評価のそれぞれの過程で適当な市民参加の手続が履践されてきたかをチェックすることで、行政の裁量を統制しようという方法である。
  ●計画過程
学識経験者による基本構想の策定、市民会議等による計画案の作成、計画案の決定手続における公聴会の開催・関係住民の意見聴取など、法律の規定に基づいたり、自治体独自の要項に基づいたりしてさまざまな市民参加の方法が採られている。
ここで留意すべきものは、近年注目を浴び出した行政手続法(条例)に基づく市民参加の方法である。ドイツないしはアメリカの行政手続法に倣って、計画決定過程に広範な市民参加を行政側に義務づけるかわりに、計画確定以降の事業実施過程では、市民による参加を極力制限していくやり方である。行政の科学化といった観点からすればたしかに優れているが、権利・義務といった法的関係をタテマエと理解し、ホンネの部分では別のルールでもって問題解決を図ろうとするわが国の風土にそのまま受容されるかどうか疑問が残る。行政の理論的科学さと実行性といったレベルにおける人間の感情の調和をめざすことが求められよう。
  ●実施過程
先にも述べたとおり、事業の実施に際しては国・県からの補助金、市債の発行による収入を見込んでいるものが多く、充分な市民参加の時間がとられていない場合が多い。したがって、市民参加では必要最小限の住民説明会の開催がなされる程度で、極力事業が遅れないように工程が管理されている。
国・県を通じる補助金行政の制度的弊害のせいもあって、事業実施部局では市民参加に消極的である。であるからこそ、いったん行政と住民の間にトラブルが発生した場合には抵抗型の市民運動として、抗争は長期化・泥沼化しがちである。行政訴訟・民事訴訟をとおして黒白の決着がつくまで続けられる。ただし、市民参加を歴史的に考えるとき、このような抵抗型の市民運動が市民参加の手法を洗練していったのであり、行政ないしは政治といった大きな視野でこれを見るとき、弊害というよりも貢献が大きいものということができよう。
  ●評価過程
さまざまな自治体で、総合計画や個別事業の実施についてはいろいろな市民参加の方策が取り入れられてきている。しかし、その評価を市民参加で行っているところは少ない。決算審査に関する議会の審議が、行政にとっての数少ない反省の場になっているにすぎない。
監査・検査といったチェックの仕方に対しては違法・不当といった指摘を回避しようとするために、どうしても防御の姿勢が優先し、事業の評価を謙虚に行う機会とはなっていない。かといって価値観の多様化した社会にあって市民のニーズへの対応に追われる自治体には、なかなか過去の事業の評価を行う余裕がない。したがって、なんらかのきっかけがなければ事業はやりっぱなしで、それが市民の間でどのような意味を持ち、どのように評価されたのかを検証することができない。行政の違法・不当・無駄を糾弾するためではなく、事業の目的効果を行政として理解するために、評価過程における市民参加が求められる。その際、事業の評価を行う基準として、適当な時機における市民参加が適切に行われてきたかという判断を用いることは有効であると考えられる。
U 市民参加の問題状況
今日、市民参加は一つの壁にぶつかっている。
抽象的なまちづくりであるとか、公園や公共施設の管理、市民ぐるみの福祉活動といった市民相互の利害がぶつからない領域ではたしかに市民参加は盛んになったが、もう一歩突っ込んだ、例えば迷惑施設を建設するなどの市民相互の利害を調整する場面での市民参加は容易に行われていない。
その原因について、市民参加の制度面、運用面から考えていこう。

1 制度から見た問題状況

(1)制度としての市民参加の限界

市民参加は、あらゆる市民にとって利用しやすく効果のあるものでなければならない。そして、その「市民」は多様な価値観を持ち、さまざまに異なった環境で生活している。一方、その「参加」を受けとめる自治体も都道府県・市町村とさまざまであり、なおかつ、それぞれの都道府県・市町村の規模・地域性・行財政能力等の格差は大きい。このような中で、全国一律の法律による市民参加の制度がどの程度有効に機能するのか。その限界を明らかにする必要がある。
市民参加の意義の一つは、権力としての行政から私人の人権や財産を保護するとともに民主的行政の遂行を担保することである。前者の人権の保護にかかる市民参加は法律による画一的手続になじむが、後者の民主的行政運営の担保にかかる市民参加はそれぞれの自治体によってバラエティがあってしかるべきである。
例えば、清掃施設などのいわゆる迷惑施設を建設する場合、議会における予算措置・都市計画の決定・建築基準法等関係法令による基準が満たされていることを最低の条件にして市民運動は展開されている。市民参加は法律の枠内だけで行われるものではない。
(2)自治体の市民参加へのスタンス
たしかに現在の地方自治は市民参加を抜きにしては語れなくなっており、あらゆる自治体はそれぞれの方式で市民参加を行っている。
しかし、市民参加は、市民の意見を行政に反映させるという本来の機能のほかに、市民の意見を聞いたのだからという、行政の隠れ蓑としての逆機能を担う危険性も有している。審議会・委員会の委員に行政の都合のよい人物を選任し、行政側で作った答申案に了承を得る形で権威付けを図るといった方法である。しかも、この過程はわが国独特の根回しによって形成され、容易に表面化しない。したがって、市民参加を掲げる自治体の姿勢を注意深く見守ることが重要である。それを制度的に裏打ちするものとして、庁内で行われている各種会議とその会議録の公開を義務づけることが求められる。
(3)市民参加を阻む外的環境
現在の地方自治は三割自治であるといわれる。このことは自治体の行う事業の多くが国庫補助事業であり、金を出すからには口も出す国の統制下にあることを物語っている。
国家予算の執行という立場から考えるとき、補助金の交付決定をしたにもかかわらず、市民参加という自治体の事情から事業の執行が遅れることは好ましくないと判断される。もともと国庫補助事業の執行に関しては、市民参加に要する時間は見積られていないのである。
金を出す側ともらう側、すなわち国と自治体の力関係は、当然国が優っている。したがって、この力学に従うならば、市民参加は極力排除される方向に向かう。この力学を転換するのは、市民の参加要求の強さとそれにこたえる首長の姿勢であろう。選挙を意識しなければならない首長にとって、市民の参加要求は国庫補助を背景にした官僚統制より大切であるはずである。

2 運用における問題状況

(1)町内会・自治会の位置づけ

非制度的な市民参加の中で町内会・自治会は大きな機能を果たしている。町内会長・自治会長は行政の下請け的な協力機関としての役割とともに、非協力をほのめかすことで行政に再考を促すことができる。
しかし、ここで問題になるのは、町内会・自治会の地域代表性、会長等役員の民主性が担保されていないことである。選出がごく少数の人間で行われる場合が多く、年齢・性別・職業における偏りや町会における他の役員との兼職が多く、在任年数も概して長い。行政との関係は持ちつ持たれつであり、行政への意見具申はするものの真っ向から対立することはまずあり得ない。
したがって、「村八分」といった言葉に象徴的なように、少数者・弱者に対する人権抑圧的な機能を果たす危険性がないとはいえない。
(2)参加市民の固定化
兼職によって参加する市民の実数を少なくしているのは何も町会・自治会役員だけにとどまらない。法定及び自治体独自の審議会・委員会の委員も少数の学識経験者が兼務している場合が多い。さらに言えば、市長への手紙・市政相談をする者の常連が、市民会議・市民委員会の委員である場合もある。
さまざまな機会を利用する市民参加に熱心な市民の存在は好ましいものであるが、一方そのような市民はごく少数で、その他の大多数の市民はそのような市民参加の制度に無関心で、またたとえ関心を持ったとしてもその利用は特別な人に限られると感じられるものであってはならない。
したがって、各種委員の兼職を制限し、また普段は市政に無関心な市民が何かの機会で市政に興味を持ったとき気軽に参加できるような開かれた参加システムが構築される必要がある。また、同時に運用面の工夫も必要である。そのような工夫がなければ、審議会・委員会を行政側事務局主導の運営から実質的な審議の場へと転換し、市民会議や市政相談を行政との適度の緊張関係を保ちながら運営することは困難である。

3 市民運動

果たして、市民参加は制度としてどの程度成熟し得るのだろうか。
市民参加を求める市民運動、市民参加の制度化を求める市民運動といったふうに、市民運動にはダイナミックで積極的な響きがある。市民運動の制度化は、運動に枠をはめ、市民運動本来の自由な活動を制限するものであり、元来自由な市民運動の性格に合致しない。とはいえ、運動も制度の枠の影響からまったく自由ではあり得ない。したがって、制度の役割もまた重要であり、制度は常に運動によってリフレッシュされる必要がある。
このような視点から、これまでの市民運動の流れを概観し、さらに今後求められる市民運動について探ってみたい。
  ●抵抗型市民運動
昭和30年代に始まった高度経済成長は急激な工業化をテコとしたものであり、その外部負経済として公害を伴っていた。典型的な事例としては、四日市ぜんそく、熊本水俣病、イタイイタイ病及び新潟水俣病の四大公害事件があげられる。
市民運動といった観点から公害反対闘争を考えるとき、官・公・民一体となった開発促進・都市化政策に対する抵抗・開発阻止型の運動として見ることができる。その運動形態は、事後的な裁判闘争を主体に展開された。
現在では、この類型に属する市民運動は道路や公共施設などの建設や民間マンションの建設反対を行政に働きかけるといった場面で採用されており、事後闘争から事前闘争へとその展開を移している。
  ●要求型市民運動
抵抗型市民運動を展開する中で、市民は、より生活しやすい環境を求めるようになっていった。生活基盤防衛型から生活基盤拡充型への運動の転換である。環境権・幸福追求権といった憲法上の権利を構成し、快適な生活をめざす運動がなされた。福祉・医療・消費者保護・環境保全等の行政サービスの拡充が意図され、昭和40年代にはその要求にこたえるべく多数の革新自治体が誕生した。
革新自治体は好調な経済、比較的豊富な財源に恵まれながら、公害防止、宅地の乱開発防止、福祉・医療の充実をはかっていった。
  ●参加型市民運動
要求型市民運動は、その要求それぞれがそれを要求する人々にとって切実なものであるという点でいまだに根強く展開されている。しかし、ただ単なる要求だけでは、1973年のオイルショック以降の低成長経済時代において、財源不足気味にある自治体を動かすことはもはや困難である。すなわち、自治体に市民の要求を認めさせるためには精巧な理論武装と巧妙な戦略が必要とされるようになった。
一方、自治体の側でも市民の政策形成過程への参加要求の高まりにこたえるべく、市民参加の制度化が進んでいった。いわゆる市民参加行政の成熟である。
市民参加が制度化されるということは市民運動の成果であり、一定の評価を得ることであるが、一面、先に述べたとおり、運動の閉塞・制度の陳腐化の危険が切実である。制度の背後に運動が控えており、絶えず制度の活性化が計られなければ、制度は市民のためよりも、行政の隠れ蓑として自治体に都合の良いように運用されてしまうであろう。
  ●自立型市民運動
参加型市民運動が自治体の政策形成過程に市民が参加するものだとするなら、自立型市民運動は自治体行政から一定の距離を保ちつつ、その活動をテコに自治体を巻き込もうとするものである。ボランティア活動、市民の目から見たまちづくり、施設運営・イベント主催といった活動をとおして、自治体と対等に付き合っていくやり方である。協働・自治型の市民運動の形態といえよう。
自治体との接点は、例えば公聴課・市民相談室といったような市民参加担当部局ではなく、その時々の活動によってタテワリの行政部局と直に触れ合う。タテワリの行政部局を市民の自立的な活動に巻き込んでいくことで自治体の統合をめざす。その過程では壁に突き当たりながらも、タテワリ打破の推進力になることが期待されるのである。
* *
このような自立型市民運動が今後いっそう求められていく。そのために、それを受けとめる自治体はいかにあるべきだろうか。そのための環境をどのように整備していったら良いのだろうか。
V これからの市民参加
都市化の進展によってマス化し孤立した市民を、新たな自治体・コミュニティに自律的に復帰させることが市民参加の目的である。そのためには、市民参加にアクティブな市民とともに、数多いサイレント・マジョリティの活性化が切に望まれる。
そこで、自治体は、そして市民自身は何をなすべきだろうか。このことについて考えてみよう。

1 市民参加の環境整備

(1)サイレント・マジョリティの活性化を

サイレント・マジョリティとは具体的にどのような人々によって成っているのだろう。もちろん、市民参加に無関心といってもその背景は各人各様である。ある人はその市政執行に満足していて何も言うことがない。またある人は市政に絶望していて何も言う気にならないといったふうに。
しかし、その大多数はもっとあやふやな存在である。自治体とは空気のようなもので、考えてみれば必要なものなのだが、あえて考察する対象ではないのであろう。何よりも大多数の市民は自分や家族の生活に忙しく、自治体についてじっくりと考える時間を持たない。
とはいえ、ある意味では自分本位な市民であるがゆえに、自治体が道路や施設建設などの場面で自分たちの利害とかかわるとき、サイレント・マジョリティは一転して騒がしいマイノリティに変身する。それがきっかけで自治体問題に興味を抱いていく市民もいるが、できればそのようなトラブルを経ないで地方自治に関心を持ってもらうことが望ましい。
(2)サラリーマンを地域に
現在の市民参加の制度の中で活躍しているのは、一部の学識経験者を除き、子育てから解放されもしくは解放されつつある女性と、元気な高齢者である。一方、サイレント・マジョリティの代表が働き盛りの男性サラリーマンである。
働き盛りの男性サラリーマンは専ら仕事に忙しく、長時間労働と遠距離通勤からくる通勤時間の長時間化の影響もあって、ほとんど地域にいない。また、たまの休日には、たとえ地域にいたとしても家庭で疲れを癒しているか、レジャーに出かけている。しかし、自治体職員として偏りがちな職員の視点に変えて、地域で生活している女性や子供の目から見たまちづくりを考えるとともに、民間企業や他の自治体で働く男性の視点もまた必要である。
そのような男性に地域に目を向けてもらうにはどうしたら良いだろうか。
第一は、まず、自治体政治そのものが魅力的なものでなければならない。貴重な時間を割いてまちづくりに参加するのであるから、そのこと事態が有意義で、参加に充実感があることが必要である。
第二は、自治体行政に興味を抱いたときにその関心を増幅させ持続させるための仕掛けが求められる。知りたい情報の所在が明らかで、それへのアクセスが手軽になされる仕組みがなければならない。
第三は、参加の対象が明確でなければならない。自治体のどの部局にどのような方法で働きかけていけば良いのかが明示されている必要がある。
働き盛りの男性サラリーマンを広い意味での地域活動に回帰させるために、これらの条件整備を行うことが重要である。
(3)多様なメディアの整備を
さて、地方自治への参加が市民にとって意味を持ち、有効な参加の方法もわかったとしても、実際に市民参加を実行するにはまだ超えなければならない障害がある。それは、主として時刻と場所についてである。
以前は平日の昼間に開催されていた自治体主催の会議やシンポジウムは、最近ではだいぶ改善され、土曜日・日曜日に行われるようになってきた。しかし、一方、勤務形態の多様化が進んでおり、そこでは土曜日・日曜日に出勤する勤労者は会議に出席することができない。また、場所についても、たとえ駅前の利便の良いところで会議が開催されていたとしても、フォーマルな会議にはよそよそしい雰囲気といったものがつきまとい、市民が下駄ばき・普段着でちょっとのぞいてみるといったものにはなっていない。会議の正式なメンバーもしくは常連となって初めて気楽に会議に出かけられるのであって、そうでない場合はやはり抵抗が強いのではないだろうか。さらには、常連になったからといって、そこで自分の意見を発表することは心理的に容易ではないだろう。
とするなら、とりあえずはフォーマルな会議に抵抗なく出席できるようにするための助走の場が必要であり、そこで発言の訓練ができることが望ましい。まちづくりや自治体行政を考える市民が自由に集える会議室・研修室といったものが小さなコミュニティ単位(小学校区くらいの単位)で設置されることが必要である。そのような場へ、時宜に応じて自治体職員を呼ぶことができるならば、市民の学習の意欲と効果はいっそう向上することだろう。
また、時刻と場所を超越するものとしてパソコン・ワープロ通信による会議・フォーラムといったものの活用が考えられる。自治体情報のデータベースをもとに市民相互及び自治体職員が意見の交換を行うことで、数少ない出会いの場である対面的な会議を有効に活用することができると考えられる。
(4)サンタモニカ市の先進事例
ア 先進国のパソコン通信行政
市民参加のメディアとしてのパソコン・ワープロ通信といっても、実際にパソコン通信を体験した者でなければ、そのイメージは湧きにくい。そこで、パソコン通信行政の先進国であるアメリカの事例を紹介することにより、大体のイメージを膨らませていただきたい。題材は、1989年8月25日から読売新聞に連載された『生活情報新世紀〜〜アメリカのテレコム事情〜〜』を中心にして、知野明著『ネットワークinアメリカ』(1989年11月、翔泳社)を参考に、サンタモニカ市の事例をまとめたものである。
パソコン通信ネットワーク名称『PEN』(Public ElectronicNetwork)
所管 サンタモニカ市情報システム部(部長、ケン・フィリップ氏)
メニュー
@「市役所」
条例、規則や市議会、各種委員会の議事録データベース
A「コミュニティセンター」
高齢者センター、図書館、隣組の行事、リサイクルの案内
B「電子メール」
市民間のコミュニケーション及び市政に対する苦情、市民参加
C「電子会議」
市民の自由な意見交換の場
D「イベント案内」
各種行事予定表
運営 開始日時 1989年2月
アクセス料金
市民 無料
市民以外 メール以外は一時利用可
回線数 当初32回線
1989年9月現在64回線に増設
環境 市職員に対するパソコン普及状況1,500人中600台
市民に対するパソコン普及状況
市民 1,000人を対象にした調査の結果は、300人がパソコンを所有
パソコンを持っている市民と持っていない市民の情報格差を解消するために、図書館、コミュニティセンターなどに30台の公共端末を設置し、『PEN』に無料でアクセスできるようにしている。また、高齢者センター、コミュニティセンターなどで市主催のパソコン講習会を開催している。
その結果、市民からの書き込みの6分の1は公共端末からのものと推察されている。
上に挙げた@〜Dのメニューはそれぞれ相互に関連しているが、行政との関わりで言えば、「市役所」や「イベント案内」からの情報をベースに市民間の話題や議論の場として「コミュニケーションセンター」や「電子会議」があり、行政と市民を直接結ぶものとして「電子メール」がある、と位置づけることができる。
「市役所」のデータベースの中身をもう少し詳しく見てみよう。
項目 議員名簿
住所、電話番号、任期
議事録
会議の日付、議案及びそれに対する市当局の報告・審議結果。
市当局の報告には作成者氏名。
1983年以降の議事録は、日付・議案のテーマによるキーワード
検索が可能である。
ライセンス
犬・猫の鑑札、バイクの登録のパソコン通信による受付。
次に、「電子メール」のシステムについて見てみよう。
1 情報システム部で市民からの電子メールを受け取る。
2 情報システム部では関係部局に電子メールを回送する。
3 関係部局には電子メールに関する専任職員が置かれており、市民に返事を書くと共に、内容・回答日を
シティマネージャーに報告する。
例えば、経済開発委員会の電子メール受付担当のレティカ・ゴガードさんによると、朝・昼・夕方の
3回、電子メールのチェックを行っており、電子メールが来た場合には早く返事を出すことを心がけ
ているとのことである。
最初の2カ月(1989年2月、3月)に、約 740件の電子メールがあったという。
以上のように、サンタモニカ市においては、パソコン通信が自治体行政にかなりの程度で入り込んでいる。アメリカにおけるパソコンの普及度、日常的タイピングの習慣、地方自治の伝統といったことから、わが国と単純に比較することはできないが、わが国でパソコン通信を導入しようとしている自治体のモデルがそこにあるような気がする。
イ 電子メールの二つの機能
電子メールの機能には、市政執行上の苦情申し立て及び政策形成への市民参加という二つのものがあるように思える。
市政執行上の苦情申し立て機能は、「市長への手紙」の電子版である。サンタモニカ市においては、シティマネージャーへの電子の手紙ということになろうか。
原則として市民対行政の関係は一対一であり、この段階でとどまっている限りは発展性はない。しかし、行政が市民からの電子メールに対して不誠実な対応をするなどした場合には、電子メールの記録を電子会議等の場に公表し、他の参加者の意見を募ることが可能である。このことは、行政に対する強い圧力となろう。
次に、政策形成への市民参加機能は、市民による政策発案である。
市民対行政の関係が一対一であるという点はここでも変わらない。この提案に対して行政がどの様に対応するかを義務づけることは困難である。したがって、この機能に関しても次の段階で、電子メールの記録を電子会議等の場に公表し、他の参加者の意見を募り、行政に対して圧力をかけることが可能であるにとどまる。
すなわち、電子メールは、それに対して不誠実な対応をとると次の段階でその内容が公表されるなどして、行政の信用がなくなるというきっかけになるが、それ単独では大きな効果を発揮しないのではないかと思う。
ウ 電子会議の三つのタイプ
電子会議の運営には、三つのタイプがあるように思える。第一のタイプは、市民だけで構成される電子会議である。第二のタイプは、市民を主役にした会議に行政を交えた形の電子会議である。そして第三のタイプは、市民と共に、個人の立場で参加する行政職員を交えた形の電子会議である。
第一のタイプの電子会議における市民参加の形態は、行政からの呼掛けに対して応えるとか、要望をまとめて行政に提案するとかのものである。その成果に対して行政の対応が義務づけられていない限り、行政にとっては、意思決定に際しての参考意見の意味しか持ち得ない。
第二のタイプの電子会議は、その中に行政が参加しているだけに最終提案に対する行政への拘束力が強い。しかし、行政当局の中身がタテワリで構成されている限り、複雑な問題で複数の担当部局が関係しているテーマに対しては、行政からの適宜な対応がなされない可能性がひじょうに高い。
第三のタイプの電子会議は、行政からの公式な対応は期待できない反面、そこで働いている職員が参加しているので実現可能な提案をまとめることができやすい。電子会議での発言も公的なものではない分、気楽に、すばやく対応することが可能であろう。
なんと言っても、パソコン通信に限らず市民参加一般に言えることであるが、参加の有効感を伴わない市民参加は長続きしない。情報のインプットだけで終わる学習会的電子会議よりも、行政に対して情報をアウトプットし、できればその成果が実際の行政の場へ反映されるものである必要がある。
電子会議への参加は自由であることは当然であるが、このことは、不参加・退会もまた自由であることを意味している。電子会議に市民を引きつける魅力がなければ、参加者の発言は生まれない。電子会議の場合、対面的会議に比べて参加が容易な分だけ、無発言のまま放置されてしまう可能性も高い。
エ 情報提供メディアとしてのパソコン通信
電子メールにしろ電子会議にしろ、それらの質を高めるためには行政からの十分な情報提供がなされなければならない。保有する行政情報に格差がある中で、市民と行政との間に対等で信頼感に満ちた関係が築かれるはずがないからである。そのような意味で、サンタモニカ市のパソコン通信『PEN』が議会や委員会の会議の議事録をデータベース化し、市民に提供していることは、積極的に評価することができる。
わが国の行政においても、ワープロ・パソコンを使って作成された文書がひじょうに多くなってきているのであるから、各種会議の記録や公文書を含めた行政情報データベースが市民に提供されるべきである。その手段として、パソコン通信は最適である。

2 市民意識の変革

(1)地方政治の活性化に向けて

地方行政・地方政治が市民の参加によって身近なものになるとき、地方自治は理念の世界から現実のものになる。参加によって自らが政策の形成や施策の実行にかかわっているという意識が根付くとき、市民自治は本物になるだろう。
地方自治はその自治体だけで完結しているわけでなく、例えば国レベルの税制改革や政界浄化といったものが地方の選挙に多大な影響を与えている。とはいえ、地方には地方独自の政治課題があることもまた事実である。政策目標の違い、政策目標へ接近するための優先順位やその手法の違い、また、政策目標の設定方法の違い等々がある。
地方政治は中央の政治と違って党派的イデオロギーの対立はなく、あるのは市民・住民の福利の増進だけであるといった意見も存するが、実は中央の党派に完全に重ならない形で地方には地方の政治的対立がある。多様化した市民の価値観を反映して政党も多様化しつつあるが、それぞれの価値観にフィットする政党がより多くの支持を集めるのであろう。その過程においては自由な言論と情報の公開が保障される必要があり、その前提をふまえた上で、地方の政治も活性化していくことが望まれる。
(2)地方自治の科学化をめざして
市民参加による政治の活性化の一方、行政は政策の科学化・理論化を進めていかなければならない。政治の活性化と行政の科学化は一見対立するようであるが、行政過程を科学的に突き詰めていけば思想=考え方の違いが顕在化し見解の相違が際立ってくる。すなわち、政治的争点がはっきりする。
市民参加によって政治が生活の一部に無理なくとけ込み、生活感のある政治を達成するための手段として行政の科学化が計られることが大切である。科学的なデータをもとに公開の場で市民が討論することができる環境が用意されなければならない。その義務がプロフェッショナルとしての公務員と、その集合体である自治体にはあるといえよう。市民の側からは、自治体に対して義務の履行を常に迫っていくことが必要である。

3 いつでも、どこでも、誰でも、市民参加

(1)「市民参加行政」からの脱却を

市民の多様な価値観・さまざまな生活パターンに対応した豊富な市民参加のメニューが用意されることが必要である。そして、それらにあたって重要なことは、金・時間や情報・知識が不足しがちな人々を自治の場から排除しないということである。
積極的なサイレント・マジョリティはともかく、市民参加したくとも時間や費用の点でその余裕がなくやむなくサイレントにとどまっている人々の要望を、参加の機会があるにもかかわらず何も行動しないという理由で排除することは許されないであろう。そこで、それらの消極的な沈黙派になんらかの機会を見つけて発言してもらうことが求められる。そのための方策を考える必要がある。
消極的な沈黙派であっても市民である以上、なんらかの形で行政と接触はある。道路工事で道が歩きにくくなる、水道工事で給水が一時制限される、清掃者がゴミを収集に来る。そんな折り、市民は職員と接触する機会を持つ。職員がそのときに市民参加について積極的であれば何がしかの情報を得ることが可能である。反面、ことなかれですませれば何も得られない。したがって、行政側で多様なメニューを用意したにもかかわらず、なおサイレントのままにとどまらざるを得ない情報弱者の人々から意見を聞くには、自治体職員すべてが市民参加に積極的でなければならない。「市民参加行政」という形で、ある部局が市民参加を担当するのではなく、市民参加が自治体を包み込むという構造が構築されなければならないのである。
(2)「開かれた自治体」の確立に向けて
市民に開かれた自治体とは、言うことは簡単であるがその実現にはかなりの困難を伴う。これまでにもその実現に向けて、情報公開条例の制定、自治体の会議や会議録の整備・公開、一方、むやみな公開によって個人のプライバシーが侵されないようにするための個人情報保護条例の制定といったことが検討され、一部はすでに実施されている。しかし、そのような現状をふまえても、いまだ「開かれた自治体」は実現しているとはいいがたい。
これまでの政策は、市民の知る権利にこたえるために、市民の要求があった場合に自治体の保有している情報を開示するという構造をとってきたが、今後はさらに積極的に、一定の重要政策の立案・執行に際しては、あらかじめ情報の開示を自治体に義務づける行政手続統制型の構想が必要である。
また、自治体が市民に開かれるためには、そこで働く職員が市民に対して消極的な守りの姿勢ではなく、元気で生き生きとしていなければならない。そのためには前向きな議論が活発に展開され、風通しの良い職場が形成される必要がある。市政は、市民とそこに働く職員との共同作品である。

※参考文献

鳴海正泰『地方自治体入門』(1981、日本経済新聞社)
神奈川県自治総合研究センター昭和59年度研究チーム『地域社会と住民運動』 (1985、神奈川県自治総合研究センター研究部)
原田尚彦、兼子仁編著『自治体行政の法と制度』(1980、学陽書房)
雄川一郎他編『現代行政法大系[8] 地方自治』(1984、有斐閣)
『ジュリスト 800号 条例百選』(1983、有斐閣)
磯村英一監修、坂田期雄編集『市民参加のまちづくり』(1983、ぎょうせい)
佐藤竺編著『住民参加をめぐる問題事例』(1979、学陽書房)
佐藤竺監修『行政と住民をめぐる問題事例』(1978、学陽書房)
高寄昇三『コミュニティと住民組織』(1979、@草書房)
高寄昇三『地方政治の保守と革新』(1981、@草書房)
田中義政編著『市民参加と自治体公務』(1988、学陽書房)
寄本勝美『自治の現場と「参加」』(1989、学陽書房)
知野明『ネットワークinアメリカ』(1989、翔泳社)

川崎市 山口道昭

『くるとぅーる』第1号所収、1992年3月刊

 
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