『市民自治と市政の情報化〜〜ニューメディア時代の分節連鎖都市〜〜』
 
「知る権利」を市民の基本的人権としてとらえた川崎市の情報公開条例がようやく施行された。請求権を「何人」にも認めた点で画期的な条例であることは、新聞等でもしばしば報道されている。
さて、このような先進的な条例であるが、この条例を実のあるものにするためには、さらにその運用において大きく二つの点が配慮されなければならない。この配慮すべき事柄の一方の柱を公開・非公開の基準の明示(具体化)とその厳守とするなら、他方の柱は情報管理システムの整備ということができよう◆1。この第一の柱=公開・非公開の基準については、本市の条例においても公開を原則とし、プライバシー保護条項等例外的に非公開とすることができる文書の範囲を規定している。この公開・非公開基準の問題は「知る権利」の保障を実質的に確保するものであるので、たとえば機関委任事務の取り扱いや企業秘密の取り扱い、または救済手続きの方法等各論の分野においても研究が進んでいる。それに比べて、第二の柱=情報管理システムの整備については、比較的地味な分野のためかやや研究の立ち遅れが目立つようである。
しかし、情報公開条例をすでに施行している埼玉県の例にみるように、公文書の管理検索システムを実行している自治体も現に存在し、成果をあげていると聞き及ぶところである。したがって、本論では情報公開制度の制度面の検討ではなく、文書管理といった実態面の検討から始めてみたい。そして、次にはオフィスオートメーション(OA)一般について、後半においては職員、市民といった観点からOAの影響を考えてみたい。
文書管理面からみた情報公開
本市のような大都市自治体において、膨大な文書=情報が蓄積されているということに異論をはさむ人はいないであろう。川崎市情報公開条例附則二項2号にみるように、条例が条例施行日以前に作成し、または取得した公文書まで公開の対象としている以上、これまでに蓄積された文書が検索されやすいように整理されなければならないのは当然である。本市においては文書の整理に先立ち文書管理規程を一部改正し、検索に便利なように類目ごとに整理するという作業を行い条例の施行に備えた。膨大な作業量であったことは想像に難くない。
さて、類目ごとに文書が整理されたとして、次の段階では文書検索が容易なように目録の作成が行われなければならない。この目録作りも大変な作業であろうが、ここで注意すべき点は、情報の開示請求者は、かならずしも具体的に特定された文書を指定して窓口で請求するものではない、ということである。市役所の機構に熟知した人間ならば、自分の求める情報を記載した文書の種類を比較的容易に判断できようが、市民にそれを求めることは酷といわねばならない。したがって実際の運用においては、窓口にやってきた市民に対して職員がていねいにヒアリングを行って、求める文書を特定する手助けが必要となる。そして、その職員もかなりのベテランであることが必要である。たとえば、図書館における司書のような役割が要求されるわけであるが、情報の検索が新しい分野であるだけに図書の検索に比べるとはるかに困難性を伴うものといえよう。
このことから、いかに正確に類目ごとに整理するか、という初期のデータ入力の重要性が浮かびあがる。しかし、これらの作業は原則として文書作成課の仕事であり、文書作成課にしてみればいわば付随的作業であるといえないこともない。もちろん、だからといっていい加減に処理してよいという理屈にはならないが、ウェイトが軽い以上、ミスが皆無になりうるとは思えないのである。
そこで私は、キーワードによる検索システムといったものの整備を提唱し、検索システムとはどのようなものであるか、若干説明してみたい。これはすでに埼玉県の情報公開制度において導入されているものに多少の機能を追加しただけのものなので、特段目新しいシステムではない。すなわち、埼玉県の「行政情報検索システム」ではコンピュータを利用し、@当該情報にとって重要な用語を端末機に入力することによって、Aその用語にかかる情報の件数をディスプレイに写し出す。B次に用語にかかわる情報の件名をディスプレイで見て、その文書が公開のものならば、その文書の抄録をディスプレイ上で見ることができる。C抄録によって求める情報が確認されると、実際に当該文書を取り寄せ閲覧に供するわけである◆2。
ここで、@での「重要な用語」がキーワードにほかならないのであるが、埼玉県ではこのキーワードの数を4から10としている。この場合、たとえば「国庫補助金」といったようなポピュラーな用語をキーワードに指定したときには、Aの件数が膨大になってしまい、したがってBの件名も多大になり、そこから求める情報をディスプレイ上で探すのが大変になってしまうのではないか。かといってキーワードの数を少なくすれば、ある一つの用語にとって、その用語を含む文書の件数が減らざるをえないので、これまたキーワードの指定によっては求める情報が見つからない率が高くなる。したがって、コンピュータのAND(論理積)回路を利用した二つ以上のキーワードによる条件検索が必要となる。
このようなシステムの導入によって、たとえ文書作成課が文書を妥当でない類目に分類したとしてもそれによって文書が検索できないという事態は回避できる。たしかに、このようなシステムの導入に先立ってデータをコンピュータに入力しなければならず、それは先に行った文書の整理に匹敵する作業量を伴うものであるかもしれないが、埼玉県のように県レベルでも可能であったことであり、けっしてわが川崎市にできないことではない。今後将来的にも文書量が増えることは必須のことであるので、このような作業は情報公開条例の施行というこの機会にいっきに完了させるべきではないだろうか。また、今後においては、事務執行の都合などでいまだ公文書館に引き継がれていない文書も、当然公開の対象になるものであるから、それらの文書もまた公文書館では把握していなければならないのである。これら文書の把握の仕方として、毎月、月報のような形で各主管課から公文書館に通知するというのもたしかにひとつの方法であり、公文書館と各主管課との間をオンライン化することによっても事務ははるかに合理化される。これはコンピュータを利用して情報をデータ化しているすべての事務にあてはまることである。
では次に、庁内のOA化について一般的に述べてみたい。
庁内のオフィス・オートメーション
まず、庁内のOA化を論じる前に、一般的なOAについて概括してみよう。
OAの発展段階を考えると、
@導入の段階──パソコン、オフコン等のOA機器が単体で導入され始める段階
A拡大の段階──機器の設置台数の増加と業務に応じて部分的なネットワーク化が進められる段階
Bネットワーク化の段階──通信技術、データベース技術の発展を背景に、庁内のコンピュータ、各種OA機器、データベースを結合した総合的なネットワークが徐々に作られていく段階
C成熟の段階──通信網の整備を背景に、ネットワークが外部(たとえば家庭)ヘとつながっていく段階、いいかえれば、システムは外部に開かれ、内部的なものから社会的なものになっていく段階がある◆3。
ちなみに川崎市の現状は、@導入の段階、にとどまっているものと考えられ、メカトロポリスとしての発展をめざす◆4としているわりには、庁内はまだその端緒についたばかりの状態である。
ではここで、なぜ自治体にとってOAが必要なのか、私見を述べてみたい。
OAの意義は、「これまでの機械化では対応できなかった日常反復する身近な事務の分野に、新しい情報処理機器を導入、活用することにより、情報処理システムの改善を図りマネジメント効果の増大、事務処理の効率化を実現すること」◆5にある。すなわち、OAは、単なる事務の高速処理のみに終わらず、事務処理の流れを改善することに効果を発揮する。オフコンのこのような用い方の例としては、住民登録部門と選挙、教育(就学通知等)、民生(国民健康保険、国民年金、老人医療等)、税務との相互オンラインシステム◆6が考えられ、これに伴って職員の労働内容もこれまでの検索、転記作業から科学的政策形成の場へと方向転換されることが期待される。たとえば、経理事務をOA化した場合、予算要求、予算の執行・流用、決算手続等における書類作成の簡便化だけでなく、新規事業や不測の事態に対するときなど、シミュレーションによって政策の比較が容易かつ迅速に判断可能である。しかし、その判断を行うのはいうまでもなく職員なのである。さらにそのデータを財政部局や人事、財産管理部門とオンライン化することによって、このような効果はいっそう増大されるであろう。
OAは、オフィスワークの個々の改善よりもオフィス・システムの新しい構築である。しかし、現実には、個別作業改善のためのOA化が先行し、その積み上げとしてOAシステムができあがることが予想される◆7。理念先行型の全庁的OAシステムを急進的にめざすよりも、個別事務の改善をめざすほうが摩擦が少なく、OA化への堅実な道筋であると思われる。したがって、当面は、OAにとってパソコンの果たす役割が大であると考えられる。効率的なオフコンによるOA化を推進するためにも、パソコンによってコンピュータを職員にとって身近なものにすべきである。
民主的情報管理と自治体の活性化
これまで述べてきたようにOA化の進展によって、これまで各課によって分散管理されてきた情報が集中的に管理されるようになる。情報の集中管理が進めばそれだけ庁内の情報格差が広がり、ひいては市民自治に逆行する危険もあるので、この点、自治体OA化を推進する際もっとも注意を要すべき事柄である。政策情報データは、公開され、公平に利用されるような、政策決定の民主的制度の保障が形成されていかなければならないものだからである◆8。
しかし、このような危惧をもって情報管理のOA化に反対するのは、当を得ているものとはいいがたい。すなわち、システムとしての財務会計の発達によって、公金の管理体制が適正化し、個々の職員が恣意的に公金を支出することができなくなったことと同じである。情報に関しても、合理的なアクセス権とその手続法の整備によって解決可能である。このような方向は情報公開条例の審議課程◆9にも見られるところであり、OA化そのものに反対するのではなく、情報の民主的コントロールについて議論すべきものである。
ではここで少し視点をかえて、民主的OA化の自治体職員に対するインパクトについて考えてみたい。
行政データの入力は、区役所を含む出先機関の職員が行い、それら情報(データ)の集中的管理は本庁職員が行うことが予想される。現在、この情報の流れは、出先→本庁と一方的であり、本庁→出先という流れは生のデータのものではなく、「指示」「指導」といったデータの加工物である。しかし、ここで出先と本庁がオンラインで結ばれるとしたらどうなるか。そして、もし出先のコンピュータ端末で中央のデータ・バンクから関連情報を検索できるとしたらどうか。これらの実現こそ本庁と出先の格差解消の大きなワンステップである。これは、出先・本庁間双方向情報システムであるとともに、たとえば川崎区の情報が麻生区でも入手できるという意味でマルチ情報システムである。
権力というものが本来、秘密、独占を好むものであり、そして、権力の源泉の一つが情報であるなら、情報は必要以上に秘匿させてはならず、そのことによって権力を理性的に管理しなければならない。また、集中した権力は、腐敗を生みやすい体質だとしたら、権力は分散させなければならない。自治体は理念的には市民自治の結晶体であるにしても、地方権力であるという一面はまぬがれえない。まして、百万都市であるわが川崎市の権限は、けっして小さなものではない。地方分権によって、国家権力の一部を自治体に委譲させ、自治体はその権限を市民に、より身近な区役所に配分すべきである。さもないと、「地方の時代」といったスローガンは、国と地方との単なる権限上の争いに堕してしまい、自治体は、住民の支持を得られないのではないか。昨今、マスコミを賑わせている地方公務員の給与問題に対する住民感情の底流について熟慮する必要がある。
ところで、話を本題の情報と自治体職員の問題に戻すが、ここではまず、情報と職員のモラールの問題について考えてみたい。
当然、豊富な政策情報に触れ、責任の重い職務に携わっている職員のほうが、そうでない職員よりも、一般的にモラールが高いといえると思う。もし本庁と出先の職員の間にモラールの格差というものが存在する◆10のなら、その大きな原因の一つがこの情報の差である。ところが、これまで述べてきたところのOA化を進めていくことによって、この情報格差は格段に減少する。したがって、職員の平均的モラールは確実に向上するはずである。そして、大多数の市民と直接、接するのは、出先の職員である。通常、市民の感じる市役所の職員像は、この第一線職員の印象で決まってしまうといっても過言ではないと思う。行政に対する信頼性とは、施策の正当性ももちろんであるが、むしろそれ以上に職員のそれなりの印象によって形成されてしまうものではないだろうか。庁内のOA化の波及的効果はこのような点にも現れるものと思われる。
次の問題は、職員の労働の質といった面からの考察である。労働内容が、検索、転記作業から科学的政策形成の場へと方向転換されるということは前に述べたので、ここではいわゆる職業病の回避といった観点から検討してみたい。コンピュータのキーボードはこれまで便用してきたタイプライターとほぼ同一であり、文字等の抹消がディスプレイ上でできるため、タイプライターよりキーの打ち込みに神経を使わなくともよいと思われるので、ここでは腱鞘炎の問題は割愛する。
すなわち、OAによる職業病といった場合に問題とされるのは、ビデオ・ディスプレイ端末装置(VDT)と対話形式で長時間作業(VDT作業)を行うことからくる眼精疲労である。視力が落ちた、眼が疲れるといった症状から始まり、これらの症状を放置したまま作業を続けるならば、@眼の早期老化、A既存の眼障害の悪化、B視力障害の進行といった影響が引き起こされる◆11といわれている。
庁内のOA化によって、これまで述べてきたような利点が得られるとしても、そのような効果を得るために一部の職員を犠牲にすることが許されるわけがない。したがって、職業病を発生させないようなシステムを検討する必要がある。まず、一つの方法は、これまでにもタイピストやキーパンチャーに対して行ってきた方法で、短期間に異動を行うことによって慢性的職業病の危険から回避させるというものである。しごく当然の措置ではあろうが、いわば緊急避難的な措置であり、抜本的な解決策とはいえない。
ここで、VDT作業の場合、画面上で文書の修正が可能だという特質に注目する必要がある。したがって、これまでよりもキーの打ち間違いに気をつける必要なく作業できるわけで、このことはタイピングの専門性を軽視しうるものということができよう。すなわち、第二の方法として、VDT作業の分散化をはかることが可能であるということができよう。これは各担当者が文書の起案や市民との応対といった作業を行うかたわら、VDT作業にも従事するといった職務形態である。こうすれば、各人がVDT作業を行う時間は必然的に短縮され、職業病の問題は大きく減少するであろう。
市民自治とオフィスオートメーション
これまで庁内のOA化とその効果について述べてきたところであるが、これらのことはすべての自治体にあてはまることであって、特別にわが川崎市を対象とした議論ではなかった。そこでここでは、川崎市の特殊性ということを念頭に置きながら市民自治について考えてみたい。
まず、川崎市の地形的特徴としてもっともきわだっていることは、いうまでもなく南東・北西にかけて非常に細長いということである。そして、歴史的にも、川崎・幸および中原の三区を中心とする多摩川沿いに発展した工業都市としての旧市街地と、宮前・麻生区を中心に多摩丘陵の開発によって生まれた住宅都市としての新市街地とに二分される◆12。したがって、「2001かわさきプラン」にみるように分節連鎖郡市といった概念が提唱されるわけである。
では、この分節連鎖都市といった概念をいかに具体化すべきであろうか。
このうち、「分節」といった観点に注目した場合、極端な例では、分市といった措置も考えられないわけてはない。しかし当面妥当なところでは、区役所機能の強化ということになろうか。
次に、「連鎖」という面に注目すると、各区間の調整機能が重視されるので、本庁機構の機能にウェイトがかかってくる。
では、区役所、本庁の役割分担はいかにあるべきであろうか。
「市民に身近な事務は身近な行政機閣で」という市民自治の考えからすれば、区役所の機能強化は当然である。まして、現在の区役所には、人事権も予算要求権も付与されていないことから考えれば、このことに異論はないであろう。しかし、情報というのは、各区役所区域内にとどまるものではなく、また、情報の流通がよければよいほど民主的意思決定が可能であるといえるものであるので、本庁の機能もまた重要であろう。本庁はこの情報の流通を促進こそすれ、間違っても阻害すべきでない。しかし、前にも述べたように、情報は権力の源泉でもあるので、適切なシステムが形成されない限り、理想どおりにことは運ばないと思われる。そして、このシステムはOAによらなければ達成がいちじるしく困難であると私は考えている。
すなわち、本来的には、市政に関するデータベースといったものにより、少なくとも市民に対しては情報へのアクセス権を保障すべきである。いいかえると、川崎市の保有する情報は原則的にはすべて市民の共有物であるが、ただ市民に公開することによって、個人のプライバシーが侵害されたり、市政の執行が阻害されたりする場合があるので、そのような情報については非公開にせざるをえないということである。この考えは、庁内の情報格差を考える場合にもそのまま妥当するものである。したがって、本庁の機能はこれまでよりも政策形成作業や各区間の調整作業に特化すべきであるが、その前提として、各区との情報の共通性を欠いては分節連鎖都市としての特色を発揮しえない。そこで、このようなシステム=OA化がぜひとも形成されるべきである、と私は考えている。
都市の「連鎖」の要となるものは、共通の情報=文化であり、川崎市の地形、歴史的所産を考えた場合、この必要性は他の都市に比べて高いものといわざるをえない。このように考えると、公文書館の位置づけというものも考え直してみる必要があるのではなかろうか。すなわち、市内ただ一つの公文書館では、市民の情報へのアクセス権を十分保障したことにはならないのではないか。理想的には、各区役所単位で、閲覧したい文書が存在するかどうかくらいは調べることができなくてはいけない。さもないと、公文書館が、ある特定の市民(たとえば、公共事業の受注者等の市役所出入りのいわゆる業者等)の情報収集機関となって、通常の市民にとっては無縁の存在となりかねない(ただし、それでも知る権利を担保する最終的な砦としての効果は持ちうるであろうが)。
市政情報の共有化こそ、市民による民主的討議の前提である。このことなくして、川崎市民としてのアイデンティティなど育つはずがない。地域エゴと自治体不信を払拭し、明日の民主的川崎市を築くための第一歩が情報公開制度であり、われわれはその精神を生かして運用せねばならないと思う。
川崎市とオフィス・オートメーションということで、昭和59年に施行された情報公開制度の運用に絡めて論じてみた。ニューメディア花盛りの社会風潮の中で庁内を見渡すとき、本市の行政の現状は世の流れに遅れていないといい切れるか。オフィス・オートメーション、ニューメディアが社会に利益のみをもたらし、害がまったくないなどということは、たとえばVDT作業による眼精疲労といった新しい職業病の発生にみるとき、そう断定できない。しかし、OAの適切な導入によって川崎の市民自治は大きな発展が期待されるのである。自治体はいつまでもOAのデメリットにこだわって導入を拒み続けることは許されない。デメリットを解消するようなOAシステムといったものを真剣に考え、勇気をもって導入すべき時期ではないか。
最後に、議員と市民の役割分担といったことについて簡単に触れてみたい。
理念的には、各行政区選出の市議会議員もひとしく川崎市全体の奉仕者である。しかし、選挙といった議員生命の源を考えるとき、現実には自己の選出行政区の利害を無視することはできない。すなわち、世話役型議員としての性格であり、これが度を過ぎると利益誘導型の政治構造として非難の対象とされることになる。公益よりも自己の身近な利益を優先する多数の有権者が存在する限りやむをえない面があることは否定できないが、政治および行政の科学化といった観点から考えるとき正しい姿とはいいがたい。
なぜこのような構造が定着したのかを、情報と権力といった面から考えてみる必要がある。行政が巨大化するにしたがって平均的市民が行政に直接アプローチすることはいちじるしく困難になった。そこで、議会議員の介在が必要とされるわけであるが、この対象はあくまで行政であって、理念的に議員の職務とされる立法もしくは政策形成作業ではない(筆者は単純な政治・行政二分論の立場に立つものではないが、ここでは議論を単純化するために二分論的に表現する)。ここでなぜ議員が選ばれるかというと、市政情報に対するアプローチが容易な位置にいるため、端的にいえば権力が背景にあるためであった。
今日では、議員以外にも各種市民運動グループが多数存在し多様な情報チャネルを形成している。情報公開条例の施行によってこれらグループのチャネルはさらに広がるわけであるが、これらのことから議員の意義はどのように変化するのであろうか。かつて市民運動が力を持ち始めたころ、市民参加は首長の人気取り政策であり、議会の軽視であるといわれたことがある。しかし、今ではこれらの運動が自治体民主化に果たした効果を否定することはできないのではないか。同様に、今回の情報公開条例の施行によって自治体の民主化はさらに促進されるであろう。市民の行政への直接参加の機会がさらに増えるわけであるが、そのことは議員が地域世話役型政治家から脱皮するよい機会ではないだろうか。
本来、市政が市民の共有物であるなら、目分に身近な問題は市民目身で解決すべきである。ただ、行政機関内部がブラックボックスでは政治的手段に頼るほかはないが、庁内OA化による情報公開といったことにより、行政がより開かれたものとなれば、市民による市政の執行の監視、議会による政策形成過程の監視といった異なったレベルから市政の民主化が促され、市民自治はさらに発展が期待されるところである。
川崎市民のひとりとして、また市職員の一人としてこのような試みに対してなにがしかの貢献ができればさいわいである。
【註】
◆1 川崎市情報会開制度研究委員会「開かれた市政の実現をめざして」参照
◆2 「地方自治職員研修」204号p.39
◆3 「地方自治職員研修」202号p.53
◆4 「2001かわさきプラン」川崎市・p.124
◆5 前掲(3)、p.28
◆6 高寄昇三・江口清三郎「都市経営をめぐる問題事例」p.97
◆7 吉田寛「地方行政とOAシステム」(神戸都市問題研究所「自治体OAシステムの理論と実践」所収)
◆8 是常福治「地方自治体とOAシステム」(前掲(7)「自治体OAシステムの理論と実践」p.26)
◆9 前掲(1)「開かれた市政の実現をめざして」p.50
◆10 川崎市文化問題懇談会「2003年文化都市・川崎をめざして」p.52
◆11 剣持一己「VDT作業の眼精疲労」(「月刊自治研」280号p.88)
◆12 前掲(4)「2001かわさきプラン」p.15

川崎市 山口 道昭 1984年7月記

川崎市政60周年記念提言集『明日の川崎を考える』(1984年12月、川崎市)p.91、努力賞受賞
 
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